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毎年、日本の夏は高校野球の熱気におおわれる。6月から始まる地方予選から8月下旬の全国大会決勝戦まで2か月間。昨年は4163校が参加し、代表校49校が全国大会「甲子園」に進出した。
ところが、今のこの盛り上がりからするとうそのような話だが、スタートはこぢんまりと…。この大会が始まった1915(大正4)年には予選参加73校、代表校10校だった。
第1回大会が行われたのは、豊中グラウンド。今、「高校野球メモリアルパーク」が旧豊中グラウンドの北東角につくられている。
その碑文を見ると、「(各地方の)最優勝校を大阪に聘(へい)し豊中グラウンドに於て、全国中等学校野球大会を行ひ以ってその選手権を争わしめんとす」(一部現代かなづかいにした)とある。
その横のレリーフには羽織袴で始球式をする姿。この時代を感じさせる姿こそ、主催者のひとつ朝日新聞社長の村山龍平だった。当時、各地で野球が盛んになっていたこともあり、全国大会をという要望が同社に持ち込まれた。村山がそれにこたえる形で始まった。
グラウンドの外周は赤レンガ塀で、外野フェンスもなかった。鉄棒を立ててロープで仕切っていた、キリギリスが鳴いていたという。
そんなのどかさの半面、野球熱は上がる一方。翌年の第2回の後、会場は鳴尾球場に移り、さらに新設の甲子園球場へ。「甲子園」は高校野球の代名詞になった。
今、グラウンド跡は住宅地にすっかり変わっていて、当時を思い起こさせるものは、この記念碑の赤レンガぐらい…。
【高校野球メモリアルパーク】

住所 :豊中市玉井町3-2
交通 :阪急宝塚線 豊中駅下車 徒歩10分
―――――シティライフ2004年7月掲載―――――
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<プロフィール>
村山龍平(1850〜1933年)は、1879(明治12)年、大阪で朝日新聞を創刊。メモリアルパークのレリーフは第1回の始球式で、村山の左に審判長・荒木寅三郎(京都帝国大学総長)、副審判長・平岡寅之助(日本製樽会社取締役)、鳥取中学投手・鹿田一郎が刻まれている。

旧豊中グラウンド正門前の高校野球メモリアルパーク赤レンガ塀には朝日新聞社・村上龍平社長の始球式姿がブロンズレリーフで残る
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